子供こそ日焼けは危ない

紫外線の害について研究が進むに従って、私たちはいろいろ間違った認識をしていたことに気がつきました。

例えば、人が日光に当たることにより皮膚の中でビタミンDが作られることから、日光浴が推奨されていましたが、その後の研究で、皮膚の中でビタミンDを作らせるためには、数十分の日焼けで充分であるということが分かってきました。

また、日光浴で風邪を引きにくくなる、肌がじょうぶになるといわれていましたが、紫外線が肌に当たると、当たった肌だけでなく、全身の免疫力が低下することも分かってきました。

アメリカのスターンという学者は、人は一八歳までに生涯浴びる紫外線の五Oパーセントを浴びるので、一八歳までにSPF日の日焼け止め効果を持つサンスクリーン剤を用いると、将来の皮膚癌の発生率を八Oパーセント抑えることができると報告しています。

一九九八年の母子手帳から、生後三~四ヶ月頃の「保護者の記録」のところにそれまでに記載されていた「日光浴や外気浴をしていますか」の文言が、「外気浴をしていますか」の文言に変更され、日光浴の文言が削除されたのも、紫外線の害に対する意識が高まったことによるものです。

大人になってから紫外線を防いでも遅いのです。

まさに子供の時から、未来の健康のために、若々しい肌を保つために、日焼けから肌を守ることが大切なのです。

今まではオゾンホールの発生は南極上空に限られていましたが、二O一一年に北極にもオゾンホールが発生したことが報じられました。

北極に近いところでは人口密度も高く、今後、北極でのオゾンホールが大きくなれば、人に与える影響が大きくなる危険があり、とても心配な問題です。

シワと化粧

大人にとって、日焼けの代償として肌にできるものがシワとシミです。

シワは古くはどのように表現されているのでしよう。

中西進著の万葉の長歌『古典鑑賞上』(教育出版)の中で紹介されている、山憶良の言葉に、「時の盛リを留みかね過ぐし遣リつれ堵の腸か黒き髪に何時の間か霜の降りけむ紅の面の上に何処ゆか敏が来たりし」と表現されています。

これは「美しい盛りの時が過ぎてしまうと、いつの間にか真っ黒な髪にも白髪が混じり、顔にはシワができてしまった」という意味の言葉です。

ここでは簸とそのまま表現されています。

また、シワをその形状から波と表現しているものもあります。

紀貫之が書いた『古今和歌集仮名序』の中にある「としごとに、かがみのかげにみゆる、ゆきとなみをなげき」の部分は、老いることによる白髪とシワへの嘆きが表現されており、波の形とシワの形をかけた表現になっています。

シワができることで、老いを感じ、その老いを嘆く気持ちはいつの時代も同じです

シワは紫外線の影響でできることはすでに述べました。

日光が原因であることから光老化と呼ばれていることも前に紹介しました。

この光老化を的確に言い表したものが、司馬遼太郎の「豊臣家の人々』( 一九六七年一中央公論杜)に記載されています。

これは豊臣秀吉の妹の朝日姫の容姿について書かれたものです。

「花嫁たるべき朝日姫は四十三であり、秀吉の血縁のなかでは容貌は普通なみであっなにしろ若いころの野良仕事のせいで皮膚がしぼみ、日焼けじわが深く、化粧ではとうていかくせない。」

野良仕事で繰り返し紫外線に当たることで皮膚がしぼみ、深い日焼けジワができるという表現はまさに光老化の描写であり、化粧では到底隠せないという表現は、裏を返せば化粧でシワを隠す意識は普通にあったと考えられます。

白粉を塗れば当然白い肌になります。

白く見えることはどういうことかを色彩科学の観点から説明しましょう。

色が赤く見えるということは、可視光線の中の赤の光が反射されて目に届くためです。

青色は青色の光が反射されて、緑色は緑色の光が反射されているからです。

黒色はすべての光を吸収して黒く見えます。

白色は逆にすべての光を反射して白く見えます。

すべての光の中には可視光線だけでなく、紫外線や赤外線も含まれています。

白粉の散乱による紫外線を防ぐ効果については前にも述べましたが、白粉の白い色そのものも紫外線を防ぐ効果が高いと考えられます。

平安時代に始まった白粉化粧は一千年以上も女性の間で受けつがれてきましたが、知らず知らずのうちにこの粉は紫外線を防いで、光老化を防ぐ働きをしていたのではないでしょうか。

また、人が最も紫外線を浴びやすい部位はうなじです。

江戸時代には襟足をきれいに見せる目的で、うなじにも白粉をつけており、結果として、光老化によるシワを防ぐ、まさに理想的な日焼け止め対策としての使い方もされていたのではないかと考えられます。